第5SS師団『ヴィーキング』?の機関銃分隊
通常のプライベート写真より少し大きめのサイズ、裏面にAgfa_BroviraのスタンプつきですがおそらくPKかそれに準ずる公開写真だと思います。
兵士達の装備や軍装・キューベルワーゲンの塗装(ダークグレーでなくダークイエロー)などから推測すると、1943年頃の東部戦線か同時期の訓練中でのワンショットのような感じですが、画像を拡大して細部を調べていくと・・何か不自然な箇所がいくつも見えてきました。
拡大図
まず第一に不自然と思われるのは兵士達の迷彩服です。
プライベート写真などでも、日当たりなどの撮影条件によっては衣服の迷彩柄が判然としないものはあるのですが、この写真は影の部分などのコントラストも曖昧で写真全体から迷彩パターンの判別が全く出来なくなっています。
特にヘルメットカバーが顕著で、どう拡大しても布の裁断跡や縫い目を確認することが出来ませんでした。
これらの事実は、この写真がPKなどの撮影で諸外国向けの宣伝等で使用されるため、機密扱いだった武装親衛隊の迷彩パターンを意図的に加工して隠している可能性が考えられます。
そういった理由からか次に不自然と思われる箇所として、写真からは襟のSSルーンや階級章が全く確認出来ず、すべての兵士達の階級がさっぱりわからないということがあげられます。
これら襟章の取り外しは、襟章から所属連隊をわからなくする防諜目的のため行われたこともあるのですが、この写真が40〜41年頃ならともかく43年以降としたら不自然すぎます。 しかし修正写真だとしたら、43年頃にここまで念入りに襟章を消す必要があったのかどうか少々疑問ではありますが・・
ちなみに画像からは襟部分を修正したような痕跡を確認することは出来ませんでした。
こちらは分隊指揮官と思われる下士官のアップ。 この兵士にも襟章はなく、唯一確認出来る襟のトレッセとマップケースなどの装備品から下士官とわかるだけです。
注意深い方は気づいてたかもしれませんがこの写真最大の謎がこの部分、右側に見えるキューベルワーゲンのフェンダー部分のこのマーキングです。
上の写真では修正したように塗りつぶされてるようにも見えるのですが、修正としたら消しが甘すぎる気もするので、もしかすると襟章のように防諜目的で最初から現地で師団マーキングを消しているのかもしれません。
ひょっとすると43年夏頃としたら、クルスク戦を前にLAH師団などが秘匿目的で師団マーキングを変更したように、他の師団でも所属がわかるような襟章や車両マークなどを外していたのかもしれませんが、私にはそういった事実を確認することが出来ませんでした。。
この写真は購入時に(根拠はわからないのですが)販売者がダスライヒ師団のものと言ってたのですが、武装SSが関係したこのマーキングは・・
5.SS Panzerdivision "Wiking"
・・やはりあのヴィーキング師団が真っ先に思い当たります。
しかしこれらはすべて推測でしかなく、ただ単純にこの車両が修理工場あがりでリペイントを施され、全く別のSS部隊へ払い下げられた可能性もあります。
この車両は兵士達とは無関係なのか、それとも本当にヴィーキング師団の写真なのか、キャプションがなにもない今となっては画像から推測するしかないのが非常に残念なところです。
さて、貴方は加工写真・実際そのままの写真、どちらと推測しますか?
JavaScript を ON にするとアンケートが表示されます
作成 : 2005年10月01日
戻る