武装親衛隊の宣伝写真

Photo 1
宣伝写真と特定出来たわけではありませんが、写真の裏にはなにもキャプションがなく、戦後タイプのアグファカラーのスタンプが押してあるだけ。 おそらく焼き増しされて数が出回ってる写真だとは思います。
というわけで被写体についての所属師団や年代等まったくわからない写真なのですが、数々の戦功章をつけた兵士と将校が勢ぞろいの壮観な光景が気に入ってる1枚だったりします。
それにしてもこういった集合写真を見ると、尉官・佐官などの将校クラスともなると他の兵士たちに比べて頭ひとつ抜きん出た背丈や体格といい、実績だけでなく外見にもアーリア人らしさが求められてるのがわかるような気がします。

海外フォーラムからの情報によると、兵士達の所属連隊は“SS-Freiw.Pz.Gren.Rgt.49 (De Ruiter)“で、中央2人の将校の左が“SS-Obersturmbannfuhrer(SS上級大隊指揮官(中佐)) Hanns-Heinrich Lohmann(連隊長)“右が Karl-Heinz Ertel(副官)“と判明しました。
Lohmannの騎士鉄十字章受章日は1944年3月12日、写真の階級は最終階級より1ランク低いSS- Sturmbannfuhrer(SS大隊指揮官(少佐))となっています。
Ertelの騎士鉄十字章受章日は1944年8月23日、ちなみにErtelは第二次大戦を生き抜き93年1月まで存命していました。
以上のデータを踏まえると、撮影時期は第23SS義勇機甲擲弾兵師団所属となった45年2月より以前、旅団時の可能性もありますが、いずれにせよ写真の人物達はネーダーランド師団に係わっているのは間違いなさそうです。
右から2番目の兵士の腕にカフタイトルらしきものがあり、これが「*** ******」みたいな感じに見えるのですが、残念ながら文字までは判別できませんでした。
写真の連隊ががSS-Freiw.Pz.Gren.Rgt.49なtらば「De Ruiter」というカフタイトルが存在するようですが、果たして…

作成:2003年11月05日
加筆:2005年06月08日



Photo 2
LAH(アドルフヒトラー)師団所属の高級将校による騎士鉄十字章授与風景。
割と有名な写真で、海外オークションでも何度か売りに出されてるのを見たことがあります。
この1枚は画面右の大佐のいくつかの写真ロットの中からの1枚でして、他にも機甲科将校へ騎士鉄十字章を授与したり、どこかの街中で将校専用車の前に立った記念撮影など、着用している勲章類からおそらく師団が戦線後方へ下がって休養中の42年夏から冬にかけてのフランスでの光景と推測されます。

2007/9/26追記
この写真はどうもロシアKGBアーカイブからの流出ロットの一部のようで、中央の人物Kurt Meyer(パンツァー・マイヤー)中佐がSS第1装甲偵察大隊のHermann Weiser中尉へ騎士鉄十字章を授与してるシーンらしいです。
Hermann Weiser中尉が騎士鉄を受章したのは1943年3月28日。 というわけで撮影日は、LAH師団が3月21日にハリコフを奪回した後、戦線後方へ下がって休息に入った頃となります。

作成:2004年3月26日
更新:2004年5月31日
更新:2007年9月26日




Photo 3
おそらくプレス用の写真かなにかの焼き増しフィルムでしょう。左から2番目の人物がArthur Phleps大将。 中央の柏葉騎士鉄十字章をつけた陸軍将官は、不確定ですがLothar Rendulicではないかと推測されます。
第7SS義勇山岳師団「プリンツ・オイゲン」師団長を経て、1943年7月に国防軍師団やいくつかのSS師団(第7.13.21.23)を集めて編成された第5SS義勇山岳軍団の初代軍団長に着任した後の写真です。
写真の撮られた時期の特定は大まかではありますが、彼の右腕の山岳袖章から〜 この袖章の制定された43年10月から、44年9月21日(11月24日?)にルーマニアへ侵攻したソ連軍との撤退戦の最中に戦死する、1年ほどの間に撮られたものと現時点では判明しています。
ちなみにその間の軍団は、ルーマニア〜ユーゴスラビア地区でチトー率いるパルチザン部隊との戦闘に従事していました。 なので、写真後方の土嚢の積み上げられた様子などから、おそらく割と戦線に近い中部バルカン地方のどこかということになるのでしょう。

作成:2003年10月26日
加筆:2005年06月08日




Photo 4
SS長官ヒムラーと将官を写したもの。
これも割と有名な写真で、私自身何かの文献でも見た記憶があるのですが、年代や場所等のキャプションは一切記載がないためわかりません。
裏面に戦中の印画紙にあるものと同じLEONARのスタンプが押されているので、おそらく戦時中にプロマイドのような扱いで一般に出回った写真カードか、PKフォトの焼き増しのいずれかと思われます。

作成:2005年02月09日




Photo 5

SS第5"ヴィーキング"師団、ゲルマニア連隊による、1943年夏のユーゴスラビアでパルチザン掃討中の1枚。 写真そのものは戦後焼き増しで出回ったもので、他にも同師団で撮影されたパンター写真等が、大日本絵画の出版物などにも掲載されています。 この時期に宣伝部隊が専属で撮影・師団公式記録として発表したものなのかもしれません。

作成:2006年04月13日
修正:2009年06月25日

最終更新日:2004年4月24日

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